ENGLISH

染の里 二葉苑

染タウン 落合

「粋」な着物に出会う街

新宿・落合が日本有数の染産地であることはあまり知られていません。しかし、かつては京都、金沢と並んで着物染色の3大産地として数えられました。華やかな優雅さが特徴の京都や金沢とは異なり、「粋」な江戸の庶民文化を色濃く残す江戸小紋、江戸更紗。 着物の需要が減少していく中で、技術を受け継ぎ、今の時代に生きる新しい染色を提案する職人たちと着物の生産に必要な関連産業の人たちが江戸染色の文化を守り通しています。
「染タウン 新宿・落合」。粋な着物が生み出される職人たちが生きています。

大正、昭和の時代を生き抜いた、
文化人たちが愛した「落合」

江戸自慢三十六興「落合ほたる」

江戸庶民の憩いの場
江戸時代、田園地帯であった落合は、のどかな風景の中に、禅宗の名刹「泰雲寺」(現在の落合水再生センター一帯)、藤が咲き誇る「東山藤稲荷」など名所があり、江戸庶民にとって季節の移り変わりを楽しむ散策の場でした。
季節の風物詩として「蛍狩り」も有名でした。現在の西武新宿線下落合駅近くの妙正寺川落合橋辺りは、「蛍狩り」の名所として「落合ほたる」と称されていました。また、「おとめ山公園」は、江戸時代、徳川将軍家専用の狩猟場で、「御禁止(おとめ)山」と呼ばれ、庶民の立ち入りは禁じられていました。
風光明媚で、庶民たちが日頃の憂さを忘れて憩う場所、それが落合でした。

文化人が集まる
明治、大正時代の頃、落合は、文化人たちが集まる場所として発展していきました。目白から落合にかけての一帯は、文人や画家などの芸術家たちが移り住むようになりました。都心の喧騒から離れ、それでいて都心にも近い落合は、彼らの創作意欲をかきたて、製作に集中できる環境があったのでしょう。とくに妙正寺川沿いには、若い日の尾崎一雄や林芙美子らのほか、プロレタリア文学の作家たちもやってきました。尾崎一雄(1899〜1983年)は、当時「文士長屋」と呼ばれた「もぐら横丁」「なめくじ横丁」で暮らし、随筆「もぐら横丁」では、檀一雄らと過ごした横丁時代の話を綴っています。
このほか、文人では美術史家で、歌集「鹿鳴集」や随筆「渾齋随筆」などを著した會津八一(1881〜1956年)、「二十四の瞳」で知られる壺井栄(1900〜1967年)、「親鸞」「蓮如」の大作を著した丹羽文雄なども一時期、居を構えていました。

更紗を愛した林芙美子
西武新宿線中井駅から歩いて約10分、「放浪記」「浮雲」などを著した昭和の女流文学者、林芙美子が終(つい)の棲家とした日本家屋が林芙美子記念館として残されています。
昭和5年に発表した「放浪記」がベストセラーとなって以来、落合の地に居を定め、昭和26年、47歳という若さでこの世を去るまでの20年余を過ごしました。記念館は数奇屋作りの大正時代を代表する日本建築で、季節の花々を植栽した庭、芙美子が絶筆した書斎などが当時のまま残っています。
左右二棟からなる記念館に入り、すぐ右側の部屋をのぞくと、更紗が目に飛び込んできます。「次の間」と呼ばれる部屋に置かれた箪笥の表に、深紅の更紗が張られています。これは芙美子が大のお気に入りであった更紗をわざわざ大工に依頼して製作したものだと言われています。清貧の時代を経験した芙美子にとって、エキゾチックで、繊細な柄を表現した更紗は憧れの布だったのでしょう。
海外にも出かけた芙美子でしたから、どこかの国でインドやジャワ島などの更紗を手に入れたのかもしれません。
でも、ひょっとしたら……。「ここに貼られている更紗は、落合の地で職人が染めた江戸更紗かもしれない」という思いがよぎります。当時落合は、今以上に染色産業のメッカであり、江戸更紗なども染められていましたから、芙美子がそれを目にして、職人に染めてもらったかもしれません。染の里と林芙美子の更紗。落合の地に相応しいエピソードです。

落合で生涯を終えた林芙美子の家は
『林芙美子記念館』として公開されている
林芙美子は大のお気に入りだった
更紗を貼った箪笥を特注したという

妙正寺川沿いは着物産業のメッカ

約60の業者が集中
西武新宿線に乗って高田馬場駅を出ると、電車は神田川を渡り、すぐに左に大きくカーブしていきます。ここが三鷹の井の頭池に端を発する神田川と杉並の妙正寺公園を源にする妙正寺川が出合う「落合」です。電車はすぐに妙正寺川沿いを走ります。四季折々の河岸の風景を眺めながら、下落合駅を過ぎ、中井駅の手前、「染の里 二葉苑」のところで電車は妙正寺川を横切ります。
高田馬場から中井駅にかけては明治・大正時代、多くの染色業者が神田・紺屋町から移り住んできた地域です。染色工場やその関連の職人たちが、着物の一大産地を形成していました。時代が昭和、平成と移り変わっても、着物を作り続ける職人たち、産業を支える関連業者たちが今もなお、江戸の文化を伝え続けています。
新宿区で染色の仕事をしている人たちで作る「新宿区染色協議会」に加盟している人たちだけでも、約60の企業や職人が染色関連の仕事をしていいます。
地図

染色そして着物の街
染色関連の仕事は、江戸小紋や江戸更紗、江戸無地染、手描き友禅などのきもの染色ばかりではありません。それらの製品を支える人たちもいます。着物を支えてくれている人たちです。「染色の街」というのは間違いのないところですが、もう一つ、言い方を換えれば「着物の街」ということもできるでしょう。
染色は染職人たちだけで成り立っているわけではありません。さまざまな工程で、それぞれの専門分野のスペシャリストたちがその仕事を支えています。染色の最終的な仕上げとして染ムラや汚れなどを正していく「染色補正」、絹についている不純物などを取り除いていく「精錬色抜」、蒸気を当ててシワを伸ばし、生地の幅や長さをきっちりと仕上げる「湯のし整理」などがあります。また、着用した着物が汚れてしまったとき、一度反物の状態に戻して洗浄する「洗張」などもあります。落合にはこれらの業者が集まり、着物の生産と文化を支えているのです。

生地の表面についた傷や
染色ムラを判断する

染色補正を手がける
清水亘さん

染の産地らしい二葉苑周辺、職人たちが仕事する

職人の街
「染の里 二葉苑」は、西武新宿線下落合と中井駅、都営大江戸線中井駅から徒歩5分のところにあります。新宿区ミニ博物館として一般の人たちに染色の工場を公開する一方で、ギャラリーなども併設しています。
この二葉苑周辺は、まさに染色産地らしい場所です。歩いて5分程度の場所に染色補正や洗張、湯のし整理などの職人たちが仕事をしています。染色を中心として最終の製品に仕上げるにはさまざま専門家の力を借りなければなりません。そうした人たちが近い場所で仕事をするのが産地です。東京でもまだ染の産地が残っているということだけでも、ちょっとうれしい気分になってしまいます。

洗張は直射日光が当たらない、
長さが確保できる場所で行われる

きもののことなら
何でもご相談ください

周辺の職人たち
清水亘さん(清水しみ抜き店)は染色補正を手がける職人です。染色の工程ではさまざまな事故が起こることがあります。ちょっとした不注意で汚れがついてしまったり、道具の鋭利な部分で傷がついてしまったり。細心の注意を払っていても、そうしたことは起こります。最終的に製品をチェックして、それを補修していくのが清水さんの染色補正という仕事です。ルーペをのぞいて、糸一本一本を修復したり、余分な入り込んだ色を取り除いたりしていきます。根気のいる作業です。
鈴木徳治さん(鈴屋)は昔ながらの洗張職人です。着物の洗濯は今でこそ、丸洗いなどが主流ですが、汚れがひどいものや着物を傷めずに洗うときには、やはり洗張が必要になります。仕立て上がったきものをほどいて、一枚の反物に戻して洗浄します。工場には一反をそのまま干せるようにと10数メートルの幅が必要です。洗張で洗浄し、そのあと湯のしをして、最後に仕立てることで元の着物に戻ります。
染色の最終工程が「湯のし整理」です。染色の工程では水洗いをするために、どうしても生地が縮んでしまったり、シワが寄ったりします。反物の幅を正しく揃え、シワを伸ばして正しい長さに揃えるのが「湯のし整理」の仕事です。二葉苑の近くには「石橋湯のし店」と「中村湯のし店」があります。